家族

 今日、母のおばあさん(私のひいおばあちゃん)が亡くなった知らせが届いた。世界一強い母がすごく動揺していた。私もおばあちゃん子でおばあちゃんが大好きなので母の悲しみがよくわかる。

 

 母子家庭で私と母はこれまで本当に色々あって、私が中3の頃、社会的養護の保護に入るまでお互いがお互いにとって関係は最悪だった。高校を卒業して母と妹に久しぶりに会って、家族旅行ができるようになったり、たまにご飯を食べたり関係は修復されつつある。気にかけてくれて、歩み寄る姿勢ときっかけをたくさん作ってくれる母には本当に感謝している。

 

 今日母が連絡してきてくれたのが私だったのが嬉しくもあり、同時に母の孤独を痛いほど感じた。母は私を巡って祖母とも関係が悪化してしまい、他の親戚もみんな大分に住んでいる。母は東京で妹と二人で暮らしで、体調に支障をきたしながら毎日仕事づけ。そんな母が唯一人生の中で良い思い出がたくさんあって大好きな家族がひいおばあちゃんだったということをよく私に話してくれていた。飛行機も間に合わず、親戚もコロナを気にしてて結局葬儀に行くことは断念せざるを得なくてすごく悲しそう。

 

 悲しんでいる母がいると私も心が痛い。過去には私の心まで壊れるほどの傷を負わされたのに、今でも母が大好きな私に矛盾を感じる。

 

 私は10個下の、父が違う妹がいる。私が母との関係が最悪だった中学時代に妹は赤ちゃんだったから私はお世話をしていたと思うんだけど、あの時期が辛すぎて実は記憶があまり残っていない。児童養護施設を卒業して久しぶりに再会してから、妹が甘えて触ってくるのが気持ち悪くて、一緒にいると不快感を感じることすらあって悩んだ。なんとなく、私は今でも母の愛情が欲しいのかな、だから母と妹いる時は妹を可愛いと思う余裕がないのかな、と思う。そんな自分に、妹に優しく愛情を注げない自分に自己嫌悪を感じる時が今でも少なくない。それでも大事で大切な家族だから、妹がいてくれることはすごく嬉しいし、いつか接するのが楽になったらな〜と思う。

 

 私は就職して7月ごろに全国転勤の予定だから、近くに住んでいるうちに母と妹にしてあげたいことをよく考えてできるうちにしておこうと思っている。今回のひいおばあちゃんの知らせを聞いて、私も祖父母と母に連絡するのも会いに行くのも、自分からたくさんタイミングを作っていこうと改めて思った。

 

 今でも「幸せな家庭」みたいなものを人に見せられた時にすごく抵抗がある。そのわがままを言えるのがどれだけ恵まれた幸せな環境なのか分かっていない人と話していると私との間に壁を作られた気分にさえなる。実家とそんなに近いのになんで一緒に住んでないの?とよく聞かれるしいつか母に挨拶させてね、母の家にいる猫たちと遊びたいな、とかこんな言葉もすごく気に触る。社会的養護を経験した若者はこんな経験をした自分とは違ってみんな幸せな家庭があるんだ。というような被害者意識を持ちやすいという。もちろん問題のない家庭なんてないことはよくわかっていて、私は私の家族に感謝している。

 

 今でも母との生活に関する悪夢をよく見るし、人の泣き声はすごく苦手だし心の傷が消えるどころか歳を重ねるごとにどんどん出てきているような感覚がある。家族ってすごく大好きなのに、大好きで大切だからこそ難しい。これからも私は心に向き合いながら、家族に感謝を伝える機会を最大限に作りながら生きていこうと思う。